先月、6月19日から21日まで、久しぶりに連休し、茨城県つくば市に行った。息子に会うのが主目的だったが、他にかねてからの念願であった筑波山の登山そして筑波山神社の参拝にあった。
とりわけ筑波山神社に参拝できたことは嬉しかった。神社の概要を述べよう。
筑波山を御神体とし、西峰(871メートル)に筑波山男大神(イザナギノミコト)を,東峰(877メートル)に筑波山女大神(イザナミノミコト)を祀っている。神武天皇元年に、両山頂にご本殿が建立されたと伝えられている。神武天皇の元年と言えば、皇紀元年すなわち紀元前660年にあたる。となるとかなり古い・・・。
そして古代山岳信仰の形を今にとどめているともいわれ、関東屈指の名社とされる。
(筑波山神社参拝、6月20日)
ところでこの神社に特別の思い入れがあるのは、長年坐右に置いて精読してきた日本至高の文献『ほつまつたゑ』に次のような記載があるからであった。尚本書は『古事記』『日本書記』の元資料と考えられている。西暦126年の成立とされる。これまで日本最古の古典といわれてきた『古事記』が西暦701年だから、これより575年も古い文献となる。
「アワナギは ネのシラヤマと
チタルまで 典も通れば
産む御子の 諱タカヒト
カミロギや タカミムスビの
五代神 諱タマキネ
トヨウケの 姫のイサコと
浮き橋を ハヤタマノヲが
渡しても 解けぬ趣き
解き結ぶ コトサカノヲぞ
ケタツボの 西南の筑波の
イサ宮に 頷き相見て
イサナギと イサナミとなる」 鏑邦男編著 『ほつまつたゑ上巻』 第2章25~27参考
「 昔二神
筑波にて 御巡り問えば
―中略―
生まんとて みとのまくばひ
なして子を 孕みて生める
名はヒルコ 」 鏑邦男編著 『ほつまつたゑ上巻』 第3章2~4参考
これを意訳すると
アワナギは白山がある現在の石川県や福井県などの北陸地方から出雲地方まで統治することができました。そして諱つまり生まれたときの名前がタカヒト、称名がカミロギつまり後のイザナギはこのアワナギの子供です。第五代のタカミムスビである諱タマキネつまり現在伊勢神宮、外宮の祭神である豊受神の娘、イサコ(後のイサナミ)と 結婚することになります。その時ハヤタマノヲがお二人の橋渡しを試みますが、うまくまとまりませんでした。そこで縁結びを成功させたのはコトサカノヲでした。二人はケタツボという政権の中心地から西南にある筑波地方のイサ宮を新居と定めました。このイサ宮で初めての子供であるヒルコ姫(後の和歌姫)を産んだのです。ヒルコ姫は天照大神の姉にあたります。
(ホームページ、タウントピック)
以上の『ほつまつたゑ』の記述から現在の筑波山の麓にある筑波山神社の周辺におそらくイサ宮があったのではないかと考えられる。後に大きな業績をあげ、日本の始祖の二人とも称揚される二神が居を構えていたという事は、筑波の地は遙か縄文のいにしえより多くの人々が営々と暮らしていたことを想像する。
6月20日に筑波山(女体山)に登り、やや霞がかった下方を一望した。晴れの日は関東一円が眺望できるという。
筑波山神社を参拝し、多くの摂社を有するその荘厳さに心うたれた。
神社周辺を散策し、穏やかで自然味溢れ、古雅な情緒を醸し出している、原日本の風景を感じた。
全国に鎮座する日本の古社やその周辺は、きっと神々を中心とした何か共通する風儀を漂わせている事だろう。
そんな日本の素晴らしさがいつまでも変わることなく連綿と続いて欲しいと願わずにはいられない。
(車窓からの筑波山、6月20日)
(筑波女体山、山頂に立つ。6月20日)