下の写真は、江戸時代に活躍した、漂白の真言僧、円空(えんくう)の木彫り神像です。しかもこの神像は「(あま)(てらす)大神(おおみかみ)」なのです。注目して戴きたいのは実に逞しい体型で、髭を生やしているのです。つまり円空は天照大神が男性であると認識していたのです。

 『古事記』や『日本書記』や神話からの常識では紛れもなく女性ですね。

日本神話のどんな本を見ても天照大神といえば、大体は女性です。

嘗て我が家では正月になると、初代神武天皇から今上陛下までの歴代天皇の肖像を描いた掛け軸が床の間に飾られていました。その中には皇祖神として最上部に天照大神が太陽の光を受けている女性として描かれていました。

ですから円空が彫りつけた男神像はどう考えても不思議です。しかしこれまでにも天照大神は男性と確信していた学者もいるのです。例えば江戸時代の儒学者、荻生徂徠(おぎゅうそらい)や神道の度会(わたらい)延経(のぶつね)がおります。

陽気に満ちた太陽の象徴である天照大神が女性であるはずはないと認識していたのです。事実他国でも古来より太陽神といえば殆ど男性形ですね。

さて日本最古の古典とされる701年成立の『古事記』よりも更に600年程遡る、紀元126年に成立した『ほつまつたへ』という宝典をご存知ですか!全文が一万行にも及ぶ「和歌体」で綴られております。

ここには男性として生を稟た天照大神の誕生の経緯が活き活きと述べられています。それをご紹介しましょう。原文は日本固有の文字(ホツマ文字と仮称)で書かれていますが、漢字かな交じり文にしました。

年キシエ   初日(はつひ)ほのぼの

出づる時   共に()れます

御形(みかたち)の    (まど)かの玉子(たまご)

いぶかしや  うおや翁の    

 ヤマスミが  言祝(ことほ)ぎ歌ふ         

(むべ)なるや   (ゆき)のよろしも

御世継(みよつぎ)ぎも  代々(よよ)の幸い

開けりと   (中略)

名を()いて  叔母より問えば

ウヒルギと  自ら答ふ

御子(みこ)の声   聞ききる時は

幼子(おさなご)の    ウは大いなり

ヒは日の輪  ルは日の霊魂(ちたま)

ギはキネぞ  (かれ)大日(うひ)()()

(みこと)なり

amateru.JPG  名古屋市 竜泉寺所蔵 

 これを意訳しましょう。

 キシエ(日本古代暦のキシエの年)の年の元旦、ほのぼのとした初日と共にお生まれになったそのお姿は、日輪と同じく球形でした。これは真に不思議なことでした。大臣の一人、オオヤマスミがお祝いの和歌を捧げました。

 「素晴らしい。これでクニトコタチ以来続いてきた天神(あまかみ)の系統も保たれることになります。末永く人々が幸福に暮らせる礎が開かれるのですから。なんと有り難いことでしょう。」

 産湯を漬かせた伯母にあたる白山姫が誕生された御子にお名前を尋ねると、ご聡明にも自らお答えになりました。「ウヒルギ!」と。その御名の意味は次の様になります。

 ウは大いなる事、ヒは日輪、ルは太陽の霊気を意味し、ギはキネと同じく男子の名前の最後につける音です。これによって大日(うひ)()()(みこと)と尊称されるようになりました。

 

 如何ですか。『ほつまつたへ』は、昭和42年に古代史家、松本善之助先生によって発掘されました。先生は私の恩師ですが、先生から教わった『ほつまつたへ』に書かれている事を断片的ながらこれからも時折ご紹介してゆきたいと思います。

 本文の作成には、昭和41年に『ほつまつたへ』を発掘された古代史家、松本善之助先生の『月刊ほつま』や松本先生の事績を受け継がれた鏑邦男先生の『ほつまつたへ上下』などを参照しております。